不妊治療体験記

妊娠7週目で「胞状奇胎の疑い」。何それ?

今回は、妊娠7週目で胞状奇胎の可能性があると言われた時の体験談をお伝えしたいと思います。

≫≫≫体外受精に向けてロング法を開始!の続きのお話です。

不妊治療をおこなっていた時期は2015年~2018年の間です。

当時のことを思い出しながら書いていますが、結構前のことなので忘れていたり、記憶が間違っていることがあるかもしれません。どうぞご了承ください。

2017年6月5日(月)妊娠7週目、出血と腹痛

夜に少量の出血があった翌朝、起きてすぐに生理の時並みの出血と腹痛に襲われました。この時は出血が結構あったので生理用ナプキンの夜用がめちゃくちゃ大活躍しました。

平日だったので夫は心配しながらも会社に行きました。

私も仕事が入っていた日だったので、すぐに職場に連絡をしてお休みをもらいました。

朝10時

通っている不妊治療専門クリニックが診療開始時間になった瞬間に電話をして、クリニックの先生に今の状態と昨夜も少量の出血があったことを伝えました。

先生から「すぐに診察した方がいいけど、この状態で徒歩と電車で片道30分以上かけて来るのは危険だから近所の産婦人科にすぐに連絡して行くように」と言われました。

先生との電話を切った後、1回目の稽留流産の時に流産手術をした近所の産婦人科にすぐに電話をしました。

受付の人に現状とクリニックの先生に言われたことを伝えると、「すぐに診察できるように予約を入れるので何時に来られますか?」と。

私が「10時半には行けます」と答えると、急なのに10時半に診察ができるように予約を取ってくれました。

産婦人科で診察

産婦人科に電話をした後、夫に連絡をしてすぐに病院に行きました。産婦人科は歩いて5分くらいだったので本当に近くにあって助かりました!

病院に着いて受付後、待合室で10分くらい待ってすぐに診察をしてもらえました。

この時はもう、“きっとまた流産って言われるんだろうな”と覚悟していました。

“あ~、聞くの怖いな。イヤだな~”と思いながらエコー検査をした結果…

先生の口からは聞いたこともない言葉が。

先生「これはもしかしたら胞状奇胎かもしれない」

私“…、何それ?胞状奇胎?流産じゃないの?もしかして赤ちゃんは元気?”

初めて聞く言葉だったので一瞬、“赤ちゃんは大丈夫なのかも!”と希望を持ったけど、すぐにそうじゃないことは分かりました。

もう、胞状奇胎って何なんだよ!?

胞状奇胎とは?

胞状奇胎とは、精子と卵子の受精の異常によって起こる異常妊娠の1つで、1/500妊娠の確率でおこるそうです。

胞状奇胎だと子宮内にぶどうの房のようなぶつぶつが発生するそうで、私の場合もエコー検査でぶつぶつっぽいものが見えて胞状奇胎の疑いがあると言われました。(ちなみに、エコーの画面でぶつぶつのところを教えてもらったけど、私には全然分かりませんでした。)

手術は、流産と同じ子宮内容除去手術で、子宮内容物の病理検査で胞状奇胎だと確定した場合は1週間後にもう一度子宮内容除去手術をするそうです。

2回手術をする理由は、胞状奇胎を完全に除去するためだそうです。

手術後は、6ヶ月以内に10~20%が侵入奇胎を発症し、1~2%が悪性の絨毛癌へと移行する可能性があるから、手術後のアフターフォローが大切になるそうです。

診察をしてもらった産婦人科の先生からは「手術はできてもアフターフォローまではできないから、大きな病院で診てもらった方がいい」と言われました。

先生から近くで一番いい病院は家から車で15分くらいの場所にある大学病院だと言われたので、その大学病院に紹介状を書いてもらいました。

産婦人科から帰宅

大学病院への紹介状を書いてもらって家に帰りました。

夫には、家に着いてすぐに電話で胞状奇胎の可能性があることを伝えました。

あと、明日自分で車を運転して病院に行くのが不安だったので、お義母さんにも電話をして現状を伝えて明日の朝車で病院まで送ってほしいとお願いをしました。

その後は、ネットでずっと胞状奇胎について調べていました。

調べると、“ガン”とか“抗がん剤治療”とか怖い言葉ばかりが目に付いて、知れば知るほど不安になるけど、調べずにはいられないという状態でした。

特に「10~20%が発生する可能性のある侵入奇胎でも、治療に抗がん剤が必要なため一種の前がん状態になる」ということが私の中では結構衝撃的でした。

ガンになるかもしれないという恐怖

「もしかしたら自分がガンになるかもしれない」と思うと、怖くて怖くて冷静じゃいられませんでした。

“何で私が?”

“胞状奇胎なんてほとんどの人がならないのに、何で私ばっかりこういうことが起きるの?”

“もしもガンになったら、どうしよう?ネットにはちゃんと治療をすれば大丈夫って書いてあるけど、本当の本当に大丈夫なの?”

“もう妊娠できないのかな。この先一生赤ちゃんを授かれなかったら、私達夫婦はどうなっちゃうんだろう”

ずっと、こんなマイナスなことばかり考えていました。

この時もずっと出血が続いていたので、更に気持ちが不安定になっていたんだと思います。

この日は、夫が早く帰って来てくれました。

夫も胞状奇胎について調べたみたで、ほとんど私と同じ情報を持っていました。

夫から「まだ胞状奇胎だって決まったわけじゃないし、明日、大学病院で診察するまではなるべく考えないようにしよう。もうこれ以上調べるのはやめよう」と言われ、この日の夜は2人でテレビを見たりどうでもいい話をしたりして意識的にいつも通りに過ごしました。

翌朝、大学病院へ

翌朝を迎える頃には、出血量がどんどん増えていました。(大体生理2日目くらいの量)

お腹も生理痛がめちゃくちゃ酷い時のような痛みになっていて、歩くのがやっとの状態で前かがみになりながらお腹を押さえていないといられませんでした。

朝8時にお義母さんが車で迎えに来てくれたので、お義母さんに付き添ってもらいながら大学病院に行きました。

続きは、【胞状奇胎体験談】1回目の入院~手術~退院までのスケジュールへ。